このタイトルは、中村一義の「生きている」という歌の歌詞の一部だ。
今日は朝から落ち込んでいる。
この文章は、AM10:16にコーヒーショップで書き始めたのだが(正確に言うと、ブログに書く内容を手帳に書いているのだが)、憂鬱感から、いつものようにコーヒーを飲みながら読書をする気にはなれず、かといって、ただボーっとしていることもできずにいたため、自然とペンを走らせることになったようだ。
昨日、久しぶりに精神が乱れた。取り乱してしまった。
はじまりは、ほんの些細な妻との会話からだった。イライラは徐々に膨れ上がり、ネチネチと約3時間にもわたりイラついてしまったのだ。
最近は、イライラしてもなるべく引きずらないようにと、ひとまず場所を移動したり、シャワーを浴びたりするなどして、なんとか気持ちを落ち着かせていた。
昨日も、一旦気分を変えようとして、トイレに行ったり、もう寝てしまおうと思い横になったのだが、どれも効果がなく、イライラを止めることができなかった。
結果、もともとの原因である会話からどんどん逸脱していき、別な方向にもイライラが派生し、自分の中にある不満の抽斗を次々と開けてしまうことになった。今回の件とはまったく関係のない妻への不満までぶちまけてしまう始末。大失態だ。
僕が良くない時の典型的な流れである。
不満をぶちまけると、そのぶちまけた分だけ自分に返ってくる。そのことは十分わかっているつもりだった。最後は自分を責めて「死にたい」などと言いはじめることも。そして、自分の性格傾向が分かっていながら、まったくその通りの展開になってしまったのが残念でならない。今では、どこかで自分を止めることができたら良かったのに…と後悔している。
解決の糸口がつかめなくなり、冷静でいられなくなり、なんとも腑に落ちない精神状態で、寝ようとしても寝つけない。
俺はまだ良くなっていなかったのだ…という絶望感に襲われる。薬をたくさん飲んでしまいたい衝動にもかられる。頭の中が、体中が、自己嫌悪でいっぱいになる。
幸い、昨日は頓服用の眠剤を飲んだら、いつの間にか寝ていたので大事には至らなかった。
朝起きて、妻に詫びた。
気分はやはり悪いままだった。それでも朝はいつもどおりに起きた。
以前は、悪い気分に引きずられて、翌日は一日中布団にもぐってしまい、ますます気分が落ちていったこともよくあったので、この辺は進歩したと言えるのかもしれない。
今こうしてコーヒーショップに来ていることも良いことだと思う。
謝る、反省する、できたことにも目を向ける。。。
あまり自慢できることではないが、自分を少しでも労わってみた。
それにしても、こんな自分が嫌いだ。本当に嫌いだ。
自分であることが辛いことほど苦しいものはない。
でもこれが自分なんだ、別の人間になることなどできないのだと思うと、自分とうまく付き合っていくほかないんだと感じる。
最近、イライラしがちだったのは、やはり日々の生活にストレスを感じていたからなのだろうか。負い目や引け目の中で生きている苦しさがあったからなのだろうか。
様々な要因はあると思うが、素直に今回のことを反省し、次に生かすようにすることしかできない。自分を追い詰めないで、労わっていくしかない。
無理のない生活をして、自分のペースで暮らしていく。そして、今の自分の現状を受け入れることが大事なのだろう。
完全な安定がないなら
完全な不安定だってないな
(中村一義「生きている」)
この歌詞にはいつも励まされる。
まだまだ死ねないと綴る日があるかと思えば、死にたくなる日もある。
これが「生きている」ってことなのかもしれない。
不安定だらけと思っている時にこそ、どこかにプラスが転がっているのだとしたら、僕はそれを見逃さないように生きていきたい。
そして、こんな憂鬱な気分の時に、しばらく顔を合わせていない父親からメールが届く。
「調子はどうだ!?」
死にたくなった…とは言えない。とても複雑な心境だ。返信は気持ちが落ち着いてからにしよう。
…これまでの投稿の中でも1・2を争う暗い文章になってしまったが、なぜか少しずつ心が落ち着きを取り戻している。気持ちを吐きだしたせいだろうか?
これが「完全な不安定なんかない」ということなのか?!
とても辛いけど、また新しい自分が今日を生きている。
生きていれば色々なことがある。色々な気分の時がある。
僕の中にいるたくさんの自分とこれからも付き合っていかなくてはならない。
長い長い曲がりくねった道。こんな時はビートルズを聴くことにしようか。
嫌な気持ちは早く手放した方がいいのだろうけど、そこに大事な要素もある気がしている。だから、僕は(ブログという手段に限らず)これからも心に宿る感情を言葉にしていきたい。